あの夜のことを、今でもはっきり覚えている。
専門学校の仕事を終え、駅前のカフェで偶然出会ったaoi。
同僚の愚痴をこぼしながらも、笑うときの目元が、
少しだけ寂しそうだった。
「たまにね、全然違う自分になりたくなるんです」
そう言って、カップの縁を指でなぞった。
後日、彼女の“もう一つの顔”を知った。
レンタルルームの中で、黒と白のメイド服を着た彼女が、
鏡の前で静かに息を整えていた。
その仕草に、日常では見せない柔らかさがあった。
「撮ってもいい?」と尋ねると、
aoiは少しだけ間を置いて頷いた。
「うん、ちゃんと合意してるから大丈夫」
その言葉が、夜の始まりの合図になった。
シャッターを切るたび、
部屋の空気がゆっくりと変わっていく。
布の擦れる音、柔らかな香水の匂い、
ライトの熱が肌に触れて、彼女の頬をほんのり染める。
ポーズを指示すると、aoiは微笑んで応じる。
「こんな感じ?」
その声に混ざる息遣いが、
耳の奥で溶けていくようだった。
真面目な職員の顔も、
SNSに投稿するモデルの顔も、
どちらも彼女自身なのだと、そのときわかった。
彼女がレンズを見つめる瞬間、
ただの被写体ではなく、
“誰かに見つけてほしい”ひとりの女性になる。
「この写真、あなたにだけ見せたい」
そう言ったaoiの声が、
小さく震えていた。
シャッター音が止まったあとも、
部屋の中にはまだ、
メイド服の香りと、彼女の余韻が残っていた。
白いフリルの袖口を整えながら、
aoiは小さく笑った。
「こうしてると、少しだけ自由になれる気がするんです」
その笑顔を見た瞬間、
“妄想”だと思っていたものが、
確かに存在する温度を帯びた。
あの夜の彼女を、僕は今でも思い出す。
静かな息と、瞳の奥に潜んでいた願いを。