[emi 妄想#002] 学会のあの人を思い出して…服の上からそっと

学会の帰り、東京のホテル。
emiはベッドの上に寝転び、スマホの画面を指先でゆっくりとなぞっていた。
けれど、本当は何も見ていなかった。
タイムラインの文字は流れていくけれど、彼女の目は、もっと別の場所を見つめていた。

——あの人の、目線。

学会の会場で、偶然目が合ったあの男性。
きちんとスーツを着て、背筋を伸ばしていた。
話したわけでもない。ただほんの数秒、目が合っただけ。
なのに、その視線の温度だけは、なぜかずっと胸に残っている。

(ちゃんと、見てくれてたのかな……)

自分の発表中、後方の席に座っていたあの人。
気のせいかもしれない。でも、何度か視線を感じた。
思い過ごしだったとしても、それでいい。
その“勘違い”が、今夜の彼女をかたち作っていた。

emiは、スマホを胸の上に置いて目を閉じた。
ホテルの部屋は静かで、空調の音だけがかすかに響いている。
学会が終わって、ようやくすべてから解放された。
でも、その解放の中に、どうしようもない“ざわめき”が残っていた。

スカートの上から、そっと手をすべらせる。
何をするわけでもない。
ただ、指先が自分の体温を確かめるように触れる。

(誰も見てないのに……)

そう思いながら、どこかで「見られてるかも」と想像してしまう。
スマホの画面の向こうに、あの人がいたら。
この姿を、もし見ていたら。
どんな顔をするだろう。
どんなことを、考えるだろう。

emiの呼吸が、少しだけ深くなる。
黒いワンピースの上から触れる自分の太もも。
スカート越しに感じる、微かな温度と鼓動。

——触れるだけで、こんなにも感じてしまうなんて。

「変だな、私……」

ぽつりと、言葉がこぼれた。
誰にも聞こえない。自分だけに聞こえる声。

その声に導かれるように、指先はゆっくりと動く。
スカートの上から、太ももの内側へ。
服の上から、わずかに押し当てるだけ。
でもその“わずか”が、今の彼女にはちょうどよかった。

画面は、もう見ていない。
でも、そこにあの人がいるような気がしてならない。

「……見ててくれた?」

問いかけたその声も、どこか熱を帯びていた。

emiは目を閉じたまま、身をよじるようにして体を沈める。
下着越しに感じる指先の輪郭。
自分が、自分の手で目覚めていくのがわかる。
服の上から触れるという“距離”が、かえって彼女を大胆にさせた。

音は立てない。
でも、体は確実に震えていた。
まるで、あの視線を思い出すたびに、奥の奥から熱が立ちのぼるように。

emiの唇が、声にならない吐息をもらす。
目を開けてしまったら、この妄想は終わってしまう。
だから、目を閉じたまま、ただ静かに揺れていた。

(ねえ……あなたも、同じ夜を過ごしてるの?)

その問いの先に、答えがあるわけじゃない。
でも、問いかけることで、妄想は確かに“現実に似ていた”。

ふと、emiは手を止めた。
熱を帯びたままの身体。
鼓動がまだ静まりきらない胸元。

でも、それでよかった。
それ以上、求めすぎると、なにかが壊れてしまいそうで。

スマホを手に取り、画面をもう一度見つめる。
さっきの投稿のタグには、彼の名前があった。
このままDMを送ってしまおうか。
あるいは、いいねをつけてしまおうか。

——いや、やめておこう。
この夜は、この距離のままでいい。

自分の身体の奥に残った熱だけが、
今日という一日が“確かにあった”という証だった。

そしてまた明日、
emiは“なにごともなかった顔”で、
朝のホテルを出ていくのだろう。

そのすべてが、誰にも知られないまま——

でも、もしも。
本当に、見られていたのだとしたら。
きっと、その視線は、彼女を“肯定”してくれるものだったはずだ。

emiは、ワンピースの裾をそっと整え、
スマホを伏せて、深くひとつ息をついた。

——誰にも見せないはずの姿を、
誰かに見られたいと思ってしまう夜が、
確かに、そこにあった。