大学生活も残りわずか、22歳になったいま、
春からは社会人として新しい生活が始まる。
全員20歳を過ぎた仲間たちと取り組んでいる卒業制作で、
私は「もうひとりの自分」を映し出す映像作品に挑戦していた。
誰もいない古いビルを借り、制服姿のまま廊下を歩く。
足音が冷たい床に吸い込まれていくたび、
自分がまだ学生であり、同時に大人へ変わろうとしていることを思い知らされる。
撮影の合間、私は同行してくれた先輩に小さく笑って言った。
「大丈夫、これは私がやりたい表現なんです」
その合意の言葉を交わすことで、
不思議な安心感と少しの昂ぶりが混じり合っていった。
スカートの裾がわずかに揺れる。
誰にも見られていないはずの空間で、
それでも視線を浴びているような感覚が、
肌の上をゆっくりと這う。
蛍光灯の光は強すぎて、影はくっきりと落ちる。
その陰影の中で、自分が二重に存在しているように思えた。
制服のままの私と、社会に飛び込もうとする私。
ふたりの間に生まれる緊張が、
鼓動を少しずつ速めていく。
「ここからは、もっと自由に動いてみて」
そう声をかけられたとき、私は小さく頷いた。
そのやりとりが合図になり、
ただの撮影ではなく、自分をさらけ出す儀式のように思えてきた。
髪が肩に触れる感触、喉を通る空気の冷たさ、
指先に伝わるかすかな震え。
すべてが鮮明で、すべてが私を別の領域へ導いていく。
ひとりで歩いているはずなのに、
誰かに寄り添われているような感覚。
静かな廊下は、やがて濃密な空気で満たされ、
制服という殻をまとった自分が、
新しい存在へと変わっていく瞬間を映し出していた。
クライマックスを迎えるように、
最後に見せた自分の横顔は、
確かに“もうひとりの私”だった。
撮影を終えたあと、私は深く息を吐いた。
余韻が胸の奥でしばらく響き続ける。
そして思う——
これは卒業制作であると同時に、
自分の記憶に刻まれるひとつの通過儀礼なのだと。