あの日のことを、ふと思い出す。
モデルルームの一角で、reiraが制服に着替えていた。
「ポスター用の衣装テストなんです」
そう言って笑った彼女の声が、妙に耳に残っている。
テーブルの上に鍵束を置いて、
通知をオフにしたスマホを伏せると、
部屋は一瞬にして“彼女のステージ”になった。
その変化を、息をひそめて見ていた自分がいた。
白いニットが、柔らかく腕に沿って伸びる。
指先で皺を整える仕草が、どうしてあんなに美しかったのか。
ベストを羽織ると、布が擦れる小さな音。
空気がわずかに揺れた。
「こうして着ると、少し緊張しますね」
reiraはそう言いながら、ボタンを上から留めていった。
そのたびに、呼吸が浅くなるのを感じた。
彼女が見せる動作のひとつひとつが、
ただの“着替え”ではなく、
何かを始める儀式のように見えた。
名札をカチリと留める音。
髪を耳にかける指先。
その一瞬に、仕事と私生活の境界が溶けていく。
「どうですか? 変じゃないですか?」
照れたように笑う顔を見た瞬間、
胸の奥がじんわりと熱くなった。
そこにいたのは“案内役の彼女”であり、
同時に“誰にも見せない彼女”でもあった。
そのあと、彼女は鏡の前で姿勢を整え、
自分の顔をじっと見つめた。
光の角度が変わり、
制服の布地が白く反射する。
その静けさの中で、
僕はひとつの確信を持った。
——今、この空間には、彼女しかいない。
時間ごと、彼女のものであるかのように。
「よし、これで完璧です」
そう呟いた瞬間、息をしているのを忘れていた。
制服の上から漂う柔軟剤の香りが、
現実と妄想の境目を曖昧にしていく。
鍵束は、まだテーブルの上にあった。
あの金属の冷たさだけが、
彼女の“日常”を思い出させる唯一の証のようだった。