
風が言った。「前だけを見て」と。
夕暮れの階段。黒いコートを纏って。
登る。昔の私には、戻らない。
もう、振り返らない。
一歩、踏み出す。
階段に足をかける。前を向いて。
また一歩。昔は、よく振り返った。
「あの時は、良かった」
「あの頃に、戻りたい」
そう思っていた。
でも今は、違う。
前だけを見る。
階段を登る。一段ずつ。
登りながら、思う。
昔の私は、弱かった。
でも、幸せだったかもしれない。
知らないことが多かったから。
今の私は、強い。
でも、辛いことも知っている。
現実を、見てしまったから。
階段の途中。立ち止まる。
振り返りたくなる。
でも、振り返らない。
前を向く。
また登る。風が吹く。
「前だけを見て」と。
そうだね。もう、戻れない。
戻る必要もない。
今の私で、進むだけ。
頂上が見えてきた。
「もうすぐ」
光が、後ろから照らしてくれる。
でも、見るのは前。
光は、背中を押してくれている。
「前へ」と。
最後の数段。
コートが、風で揺れる。
でも、私は揺れない。
しっかりと、前を向いて。
そして、着いた。頂上。
振り返らなかった。
前だけを見て、登り切った。
景色を見る。前方の景色。
これから、向かう場所。
綺麗だ。
振り返らなくて、良かった。
前を見て、良かった。
風が吹く。最後に。
「これからも、前を向いて」と。
頷く。わかった。
もう、振り返らない。
昔の私は、昔のまま。
今の私は、前へ進む。
強く。
迷わず。
この階段が、教えてくれた。
前を向いて歩けば、着くと。
振り返らなくても、大丈夫だと。