
「急がなくていいよ」 風がそう言った。
冬の午後。 階段の前に立つ。 黒いコートを纏って。 グレーのニットに手を添えて。
一段目を踏み出す。 冷たい空気が頬を撫でる。
昔は、いつも焦っていた。 周りと同じ速さで登らなきゃ。 遅れたら、置いていかれる。 そう思って、息を切らしていた。
三段目。 風が吹く。 髪が揺れる。
「みんな、もっと先にいるよ」 風が試すように言う。
知ってる。 でも、もう焦らない。
五段目。 足元を見る。 一段一段、確かに登っている。
「遅くない?」と風が聞く。 「遅くていい」と答える。
自分のペースで登れば、 景色が見える。 息が切れない。 足元が揺らがない。
途中で立ち止まる。 振り返る。 思ったより、高いところまで来ていた。
風が優しく吹く。 「いいペースだよ」と。
最後の一段を登る。 頂上に立つ。 まっすぐ前を見る。
街が広がる。 冬の光に包まれて。
風が言う。 「ここからの景色、きれいでしょ」と。
うん。 焦らなかったから、見える景色がある。
自分の速さで登った階段は、 誰のものでもない、私だけの道。