
「今日、行かないの?」 風が聞いた。
公園の端に、古い石段があった。 桜の木が、両側を覆っている。 満開だった。 気温は24度。 コートが要らない、珍しい春の昼だった。
一段、踏み出した。 花びらが、舞い降りてきた。
階段を登りながら、思い出す。 去年のこの時期、私は桜を見ていなかった。 仕事のことしか、頭になかった。 桜が咲いていることすら、気づかなかった。
二段、三段。
今年は違う。 ちゃんと空を見上げている。 ちゃんと、風を感じている。
「変わったね」 風が言う。
「そうかな」
「そうだよ。去年の君は、ここに来なかった」
踊り場で、立ち止まった。 背後には満開の桜。 前には、まだ続く石段。
明日は雨の予報だった。 今日だけの、この景色。 今日だけの、この光と風。 午後になって、少し強くなってきた風が、スカートの裾を揺らした。
もう一度、前を向く。
完璧じゃなくていい。 去年より、少しだけ自分を許せればいい。 それが、また登り続ける理由だった。
頂上に着いた。 風が強く吹いた。 花びらが空を覆った。
「よく来たね」 風が笑った。